[BOOKデータベースより]
たびたび「私」を見失う安吾、その「野生」のひらめきとは。しかしやはりテクストの上に顔を出さずにはいられない「私」をどうとらえるか。新しい「坂口安吾」の像はどう構成されていくのだろうか。気鋭の論者による、これからの安吾論。
安吾の文体、「野生」のひらめき
第一部 様々なる文体―分裂が結局総合を意味するのだ(演説!推理?然り風である!―「風博士」論;小説の技法を求めて―「FARCEに就て」の射程;坂口安吾の「私」について―「流浪の追憶」から「ラムネ氏のこと」へ)
第二部 歴史を語る―せめぎ合う歴史と現実(史実を切り取る/貼り付ける―「イノチガケ」論;歴史をちょん切る「講談の技法」―「黒田如水」論;「特別攻撃隊」と「僕」あるいはカタリとハナシ―「真珠」論;「ケスク・スラ・シ二ヒ」(それは何を意味するや)―「肝臓先生」論)
第三部 女性を/が語る(立ち上がる)―男性作家、安吾の限界(ロマンチックは誰のものか?―直筆原稿から読む『吹雪物語』;「オメカケ」は語ることができるか―「青鬼の褌を洗う女」論)
「坂口安吾」とは誰なのか
たびたび「私」を見失う安吾。その「野生」のひらめきとは?
「野生の文体」の「文体」とは、本書であつかった小説が様々なスタイルで書かれていることをあらわしている。安吾が様々な文体を模索して小説を書いたことと、無頼派の像としての、原稿用紙の散乱した部屋の写真などと結びつけて語られる「坂口安吾」との間に、果たして乖離はないのだろうか。
本書は、安吾のテクストで表現される文体のゆたかさ、煩雑さ、矛盾、混沌とした様相により多くの価値を見いだす。
文学テクストの上に表現された形式を仔細に分析すること、表現された内容と形式がどのように関係しているのか、もしくは関係していないのかを見定めること。本書でしつこくくり返したのは、安吾の文学テクストに表現された形式と内容の結びつきの必然性を明らかにするという一事である。
全体を、序 章─安吾の文体、「野生」のひらめき、第一部 様々なる文体─分裂が結局総合を意味するのだ、第二部 歴史を語る─せめぎ合う歴史と現実、第三部 女性を/が語る(立ち上がる)─男性作家、安吾の限界、終 章─「坂口安吾」とは誰なのか、で構成。
これからの新しい「坂口安吾」の像のために。気鋭の論者による、これからの安吾論の登場。
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