[BOOKデータベースより]
対話にもとづく知の探究を「時間の浪費」と考える教師たちは、学習者を人間的主体性を欠いた物と化することによって、知識そのものをも死物と化しているのである。どんなにすぐれた知識でも、人間が人間であることをやめるような仕方でそれが習得されているかぎり、それは、精神をいっそう無力化する重圧となることはあっても、たえず事物に問いかける活発な精神をはぐくむ力とはなりえないだろう。その意味では、いっけん能率的な知識の注入は、かえって時間を無駄につかい捨てているのである。
1 脱学校から非学校化へ
2 いま、なぜフレネか
3 世界を読み解くということ
4 なぜ、「現代」を問うのか
1.教師が教え、生徒は教えられる。
2.教師がすべてを知り、生徒は何も知らない。
3.教師が考え、生徒は考えられる対象である。
4.教師が語り、生徒は耳を傾ける。
この関係をかえること、それは一つの社会の文化を変革するということを意味する。
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