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「孝子良民の表彰は封建制度の強化策」という考えは、戦後になってから固定化されたものである。少なくとも江戸時代の人は、孝をそのように批判的に見ていなかった。江戸の「孝」は、誰もが善と信じて疑わない思想であった。実例をもとに新たな見方をさまざまに提示。今とは違う、その活力と豊かさを掘り起こす!
第1章 孝文化研究序説(孝子表彰への好意的なまなざし―十七世紀後半の全体像;西鶴は孝道奨励政策を批判しなかった―不孝説話としての『本朝二十不孝』;表彰が人を動かし、作品を生む―駿河国五郎右衛門を例に;表象は説話の起爆剤―駿河国五郎右衛門をめぐって)
第2章 表彰と孝子伝の発生(綱吉による孝行奨励政策の背景;偽キリシタン兄弟の流転―保科正之の孝子認定と会津藩における顕彰;表彰と説話集とのあいだ―岡山藩;宝物としての孝子伝―福知山藩・島原藩)
第3章 孝子日本代表の形成(明代仏教がリードした江戸の孝子伝―元政『釈氏二十四孝』と高泉『釈門孝伝』;儒者が選んだ日本史上の孝子;『本朝孝子伝』刊行直後;弥作が孝子日本代表になるまで―水戸藩の表彰と顕彰)
第4章 藤井懶斎伝―いかにして『本朝孝子伝』は生まれたか
堅苦しいイメージが強い「孝道徳」は、江戸時代からそうだったのか。江戸時代の孝がもたらした文化的な側面などに着目し、江戸時代に孝が持った肯定的な熱気と、そこから生じた多様な現象を明らかにする。





















