情緒資本論序説 日本の情/情動/感情資本主義
考えるとは理解ではなく、気づきの驚きである。ハッピー労働と苦悩の感情労働、感情・情動の商品にあふれた消費欲望の快楽。そこでは自律の感覚や感性が麻痺し、知的資本も不能化していく。
戦争や景気の不安に、資本主義崩壊の気配が忍びよる。
ラカンの不安の情動構造から、日本の情緒、気の文化、西田幾多郎の感情哲学、岡潔・九鬼周造の情緒哲学、ボルノウ気分の哲学を媒介に、感情の歴史学・社会学の成果を見直し、感情資本主義によって感情資本と情緒資本が分岐されてきた地平から、述語論の「作用の作用」を開く。混乱している感情・情動・感性・感覚の感情言語を整理し、情緒資本のシニフィアン作用の気づきへ。