シカルの井戸
詩集
著者:伊藤冬留
出版社:書肆侃侃房 地方・小出版流通センター
価格:2,000円
発売日:2025年02月
判型:A5/ページ数:188
ISBN:9784863856653
遠く 記憶の向こうから
聞こえて 来るもの
それは 蒸気機関車の
車輪の音と 汽笛
新芽を出した ばかりの
落葉松の 林の脇を
添うように
郭公が 鳴いている
冬留さんは、80歳になった年に、ヤマメ釣りを終えた。美絵子さんもそれに従い、竿を置いた。体力や山中での過ごし方に限界を感じたというのである。人生の終盤を彩る良い釣り旅だった、とも言った。その最後の釣行の日、色づき始めた大きな楓の枝がさしかかる浅瀬で釣っていた冬留さんの竿に大物がかかったが、手元にきてバラした。逃した獲物はまさしく大きかったと笑っておられたが、詩人らしい、静かで潔い竿仕舞であった。
平和と安息の生活を希求する詩人の人生の旅路における心象が刻印され、シカルの井戸の傍らで聞く水音のような、予知・予言の「ことば」が響いているこの一書を持ち、森に行き、ページをひらく日のことを、いま、私は思っている。
(九州民族仮面美術館館長 高見乾司)