「維新」政治と民主主義

分断による統治から信頼でつなぐ自治へ

仕入元在庫あり

著者:山口勝己 
出版社:公人の友社 
価格:1,800円

発売日:2023年10月
判型:A5/ページ数:248
ISBN:9784875559054

内容情報(日販商品データベースより)

本書執筆を通じて、私の確信となったのは、維新政治、維新現象は過渡的な政治現象であるということだ。その意味は二つある。ひとつは維新以前の世界には戻れないということだ。私自身が胸を張って取り組んできた活動は、やはり大きな弱点があったと思わざるを得ない。それは端的に言えば、時代の変化の中で生まれた新しい社会問題が自らに及ぼす影響に対する鈍感さだ。労働者派遣法は1986年に成立し、改悪を重ねながらその対象を次第に拡大し、2004年には製造業への派遣も容認された。これがリーマンショック後の派遣切りへとつながり、格差の拡大と貧困の深刻化を招いた。もちろん私たち労働組合も非正規雇用労働者の処遇改善を求める取り組みや労働者派遣法改悪に反対する取り組みを行ってきた。しかし、それが強行されたとき、私たち自身が「既得権益」として批判の矢面に立たされることになることには想像が及んでいなかった。そして、特に雇用が保証された公務員層が「既得権益」の象徴としてバッシングの矢面に立たされることになった。
 その背景には、中小零細企業の従業員数や割合が全国トップレベルという大阪市の特性があったとおもわれる。そのバッシングの急先鋒として登場し、大きな支持を集めたのが維新であった。しかし、バッシングにさらされたという自らの被害意識以上に、私たちが見落としてはならないのは「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれた人たちをはじめ、1990年代から2000年代に正規雇用から排除された人たちの圧倒的多数が20年から30年を経て、今なお、不安定かつ低賃金での雇用を強いられているという現実だ。その現実は、維新が過渡的現象であるということを逆説的に証明している。それが二つめだ。
 維新政治は結局のところこの問題を解決できなかった。むしろ競争原理の徹底こそが社会を活性化させ、成長をうながすというイデオロギーを振りまき、個人に対しては自己責任論を押しつけた。労働組合をはじめ労働者を保護する制度を「既得権益」と名指しして解体することには情熱を傾けたが、正規雇用や安定した収入から排除された労働者の暮らしを改善することには冷淡かつ冷酷であった。
 今日の「豊かな社会」における格差と貧困の問題は、ますます様々な形で人々の生活を蝕み、老老介護、ヤングケアラー、女性の貧困、子どもの貧困など派生する社会問題となって、その解決を求めている。維新政治にこうした課題の解決を期待することはできない。そういう志向性を持った政治勢力でないことは、おそらく誰もが気付いている。維新が振りまいたのは、時代おくれの成長神話であり、いまや実現不可能な昔の夢であることが立証されつつある。
 私たちが維新政治に見切りをつけ、新しい政治の実現に歩みだすためには、押しつけられたように感じられる不都合な現実を、自ら選び取った現実として引き受けつつ私たち自身の手でより良いものに改善していく覚悟が必要なのだろう。その時は私たち自身も大きく変わり新しい自分に出会える時かもしれない。その機運はやがて醸成され、社会に満ちると信じたい。

<< 前のページへ