もしニーチェがイッカクだったなら?

動物の知能から考えた人間の愚かさ

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著者:ジャスティン・グレッグ 的場知之 
出版社:柏書房 
価格:2,200円

発売日:2023年07月
判型:四六判/ページ数:284
ISBN:9784760155286

内容情報(日販商品データベースより)

このところ動物とヒトがいかに同じような特性を持っているのかを明らかにする書籍が増えている。それには動物行動学など、さまざまな研究が進み、動物の考えていることや、動物の使うコミュニケーション方法が解明されてきたからなのだろう。
 そこから知性とは何か? これはヒトだけのものなのか、動物にもあるものなのかという疑問も湧いてくる。今話題のAIとの関連で、ヒトの知性の存亡があやふやになっている。知性というわかっているようで定義しづらい概念を元に、人間に知性(ニーチェは動物には知性が欠けているといった)があるなら、なぜ無駄な戦争を起こし、道徳を振り回しヒトの行動を縛り付け続けるのかを考えてみたのが本書だ。私たちは知性という曖昧な言葉を使うことで、ヒトと動物を隔ててきた。つまり論理的に動物とヒトを区別できないために曖昧な言葉により、明確な違いに答えることを避けてきたのではないだろうか。
 動物と人間の違いとは一体何なのだろうか。まずは動物にはそんなことはできないだろう、劣っているはずだというヒトの思い込みについて考えてみよう。たとえば株の短期売買で熟練の株売買人とネコを比べたら(ネコは銘柄一覧にネズミのおもちゃを落とす方法で挑戦)、資産を増やしたのはネコのほうだった。また、ハトにがん組織の写真を見せたらがんの発見率は放射線医よりも高かった。さらに、動物も見せかけの嘘はつくけれど、ヒトの嘘はもっと巧妙で、騙す相手を信じ込ませその行動をあやつる。なぜヒトはそこまで騙そうとするのだろうか。
 動物も「死」自体を意識できる。しかし、自分も死ぬ運命だとは思ってないかもしれない。だとしたら未来予測ができるヒトは死の意味をどのように考える方向に進化してきたのだろうか(類人猿と分化した際にヒトは死について認識した)。死を意識しすぎると、いまやるべきことに意欲がなくなる。これをどう克服してきたのだろうか。
 動物の集団には餌を食べる順序などのルールがある(不公平を認識できる)。集団化して生きるヒトの道徳は一体何のためにあるのだろう(ヒトは心の理論を元にした共同から始まり、集団としての規範を作り上げた。そこから生まれた善悪とはいったいなんなのだろう)。LGBTQはなかなか受け容れられないけれどヒツジの10%は雄同士でくっつくし、雌同士で卵を育てる鳥もいる(動物界には同性愛が多いが、だからといって繁殖数が減っているわけではない)。
 イヌやネコは飼い主に怒られると、恐怖心から目をそらす。これは意識がある証拠だ。ミツバチにも意識はある。課題を与えるとこなすことができる。ヒトは未来を予測できるくせに、実際にはそれを理解せず目をつむる。二酸化炭素の排出をとめなければ気候変動が起こることは誰でもわかっている。でもなぜ、それをすぐにとめようとしないのだろうか。
 長期的認識が大事なのにも関わらず、私たちの脳の古い部分は太古のまま衝動的行動を促している。もうそろそろヒトも動物の一部だという認識を深めてもいいだろう。でも道徳的にはそれを嫌がるのかもしれないけれど。

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