「私」という方法
フィクションとしての私小説
「私小説」という概念の出現は、何を変えたのか。
論者たちの小説解釈を方向付け、
小説家たちの自己認識にも影響を与えた
「私小説」という概念の出現。
私小説概念とともにあった
志賀直哉、葛西善蔵、梶井基次郎、太宰治等の
小説・論評を読み直す試み。
【我々は、私小説とは何かと問われなければ、すでにそれを知っているともいえる。これは、文学という概念が一度として完璧に定義されたことがないにもかかわらず、我々が漠然と冥々裡にそれを理解していることと似ている。私小説という概念の出現は、論者たちの小説解釈を大きく方向付けたし、小説家たちの制作や自己認識もまたその影響を受けたのである。たとえば志賀直哉は、自作の「或る朝」を、執筆当初は「非小説、祖母」と題しながら、後年の回想では「初めて小説が書けたやうな気がした」と述べるのであるが、この自己評価の変遷には私小説概念の成立が明らかに関わっている。本書は、そのような現実をふまえた、個々の小説や評論の、ささやかな読み直しの試みである。......「はしがき」より】