引き潮を待って
吉本洋子詩集
著者:吉本洋子(詩人)
出版社:書肆侃侃房 地方・小出版流通センター
価格:2,000円
発売日:2011年10月
判型:A5/ページ数:79
ISBN:9784863850620
引き潮を待って
こんなところにまで潮は満ちていました
あなたの手に残された満潮のしるし
何処まで遊びに出かけたのですか
あなたと海沿いの町に生まれて
重なり合って辿り着いた寝台の傍では
今日も潮鳴りが聞こえています
細い管で潮鳴りを鎮める神事は
濁った音を立てながら
あちらこちらで催されます
腕自慢から見習いまで
誰に当たるのかはその日の運試し
今日も良い一日でありますように
排尿には問題はありません
なかなか引きませんね
呼応するように
潮が指の先まで満ちてくる
こんなにもたっぷりと薄い皮膚のすぐ下に
ずぶずぶっと私を埋没させる水脈があるなんて
呪術師を真似て両手を差し込み
ゆっくりと潮を押し戻す
潮は抗いながら肘関節までは退いてみせるがそこから先は
頑な意志を持って居座っているテロリストのようだ
リンパの流れに沿ってマッサージをしてください
ん? 銀波の流れに乗ってマッサージをするわけ
人の身体の六割は水だというから
このままだとあなたの中で溺れそうです
長期戦になりますから
幾度と無く波に押し戻され取り残されて
次の波を待っている間にも潮はあなたから湧いてくる
先夜差し込まれた細い針の穴から
漏れてくる
病室の二十五時此処から先は
全てのものが別の成分にでも変化するのでしょうか
あなたから零れおちた潮が迷い船を招き入れる
だからあなたは
潮を汲みあげる柄杓を片手に
引き潮を待ちながら潮路を歩いている
内気な船幽霊です