この商品をご覧のお客様は、こんな商品もチェックしています。
- 与謝蕪村考
-
価格:3,300円(本体3,000円+税)
【2023年10月発売】
- 文豪の素顔 新装版
-
価格:1,848円(本体1,680円+税)
【2022年08月発売】
- 生としての文学ー高見順論
-
価格:2,750円(本体2,500円+税)
【2010年12月発売】
- 周五郎の江戸町人の江戸
-
価格:704円(本体640円+税)
【2007年09月発売】
- 天空の文学史 雲・雪・風・雨
-
価格:3,080円(本体2,800円+税)
【2015年02月発売】
[BOOKデータベースより]
私小説の時代は終わったが、我々は我々自身の生を否定するところまでは行っていない。生とは何か、ということを追求せずに、純文学を否定してよいのか。純文学の作家たちは、徹底して「生」について考えた。生は自らの内にあり、内部生命は何ものにも従属してはならず、その先に他との出会いがある。純文学とは何か。北村透谷・志賀直哉・高見順たちが繋いできたもの。
序(純文学とは何か;「純文学」言説の歩み;指標としての高見順)
[日販商品データベースより]第1章 文学の独立(文士;文学の独立)
第2章 私小説の意味(「私」をめぐって;私小説の意味)
第3章 純文学とその先(純文学―自我の拡充としての文学;内なる歴史と純文学)
純文学とは何か−北村透谷・志賀直哉・高見順たちが繋いできたもの−
私小説の時代は終わったが、我々は我々自身の生を否定するところまでは行っていない。
生とは何か、ということを追求せずに、純文学を否定してよいのか。
純文学の作家たちは、徹底して「生」について考えた。
生は自らの内にあり、内部生命は何ものにも従属してはならず、その先に他との出会いがある。