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[BOOKデータベースより]
戦争の時代と戦後の時代を蝶番のようにつなぐ五〇年代は、有り余る出来事のために、ひとつのイメージを与えることに失敗するほかない時代だった。この時期を代表する批評家、竹内好、花田清輝、谷川雁の言葉は、五〇年代思想の特色を鮮やかに映し出す。アジア問題から出発したナショナリスト竹内、地球的視野に立つコミュニスト花田、文化と労働運動のオルガナイザー谷川。思想も活動領域も異なる三人だが、彼らの間には共通するテーマがあった。一つはアジア、もう一つは集団である。三人の批評家の言葉を再発見し、近代の語り方を重層化する試み。
第1章 竹内好
[日販商品データベースより]第2章 花田清輝
第3章 谷川雁
第4章 近代の超克
この本では、一九五〇年代に活躍した三人の批評家、竹内好、花田清輝、谷川雁を軸にして、この時代独特の問題意識について再考したいと思う。
なぜ五〇年代なのか。一つにはこの時代が、戦後史の落丁のページとなっているように感じられるからである。
六〇年代は「高度成長」の時代と呼ばれ、八〇年代といえば「バブル経済」「ポストモダン」といったキーワードが良くも悪くも付いて回る。だが、五〇年代についてはこの時代を端的に形容する明確なイメージがあるわけではない。イメージ化されざる時代、それが五〇年代だといえようが、だからといって重要な事件が起こらなかったわけではもちろんない。逆に、朝鮮戦争、サンフランシスコ講和条約に始まり、六〇年安保の大規模抗議行動まで、戦後史を語るうえで言い落すわけにはいかない事件、時代を画する事件が引き続いた時代である。むしろそのことが五〇年代を特徴付けていたのではなかっただろうか。五〇年代とは、有り余る出来事のために、一つのイメージを与えることに失敗するほかない時代だったのだ。数多くの出来事は、それぞれに歴史の分岐点を形作ってもいた。もしもあのときあの道でなく、別の道を進んでいたなら、今現在の私たちも別のあり様で生きていたかもしれないと思わずにいられないほど、それぞれが論争的な出来事だった。
もとより「成長」であれ、「バブル」であれ、特定の時期を一色で塗るごときイメージは、そのイメージにそぐわないさまざまな出来事を逆に覆い隠してしまうことになり、その意味では共通に「俗」なイメージなのである。「焼跡から高度成長へ」といった単純な物語に依拠した戦後史のイメージから必然的に抜け落ちてしまう五〇年代は、むしろストーリーに乗らないその座りの悪さによって、単純化された歴史イメージを見直すための足かがりとなるだろう。――「はじめに」より