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彩流社 栗原好郎
点
映画は人生の応援歌である。密室空間で、不特定多数の人びとと一緒に同じスクリーンを観るシステムが崩壊しつつある。異なるものを受け入れ、自分の世界を再構築する場としての映画館は、もはやノスタルジーの対象でしかないのか。DVDで映画を観ることが多くなってきた。簡便に映画を、いつでもどこでも観ることができるようになったのは慶事だが、非日常の空間だった映画が日常との間で揺れ動いている現実を見るのは寂しい。そうした現状を凌駕する痛快な映画を紹介する。
アニエス・ヴァルダ論の余白にトリュフォーにおける教育建国神話としての西部劇「赤狩り」時代の映画作家たちヒッチについて私が知っている二、三の事柄知られざるキューブリックゴジラ映画の光と影宮崎駿のアニメーション黒澤明とシェイクスピア甦る記憶 過去と現在の間に失われた家族の絆ハロー、グッバイ『青春デンデケデケデケ』あるいは青春という脆弱な響き『八日目』上昇と下降のドラマ映画の未来に向けて―まとめにかえて
映画館システムが崩れ、自宅などで自由に映画が再生できるようになった現在、映画館で観る映画と、自宅などで観る映画は果たして同じものか、同じレベルで論じていいのか。結論は出ないが、今言えるのは、密室空間で、不特定多数の人と一緒に同じスクリーンを観る映画館システムが崩壊しつつあるということだ。少数の見知った人と画像を観る体験は同質のものを求めるlike の世界だろうし、それに対し、見知らぬ人々と時間を共有し同じスクリーンを観るという体験は、異質なものを求めるlove の世界と同質のものだろう。交わりの空間がそこにできれば幸いだが、他者不在の個だけを突き詰めた先には不毛な世界が待っているのではないだろうか。異なるものを受け入れて、自分の世界を再構築する場としての映画館は、もはやノスタルジーの対象でしかないのだろうか。小奇麗なシネコンの館内で観る映画は、小汚い、胡散臭さが漂う昔風の映画館を駆逐してしまった。昔はいざ知らず、還暦を超えた今は僕も、DVDとかでごまかして映画を観ることも多くなってきた。簡便に映画を、いつでもどこでも観ることが出来るようになったのは慶事だが、非日常の空間だった映画が日常性との間で揺れ動いている現実を見るのは寂しい気もする。本書ではそうした現状を凌駕するような痛快な映画をご紹介する。
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1位
又吉直樹
価格:1,320円(本体1,200円+税)
【2015年03月発売】
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[BOOKデータベースより]
映画は人生の応援歌である。密室空間で、不特定多数の人びとと一緒に同じスクリーンを観るシステムが崩壊しつつある。異なるものを受け入れ、自分の世界を再構築する場としての映画館は、もはやノスタルジーの対象でしかないのか。DVDで映画を観ることが多くなってきた。簡便に映画を、いつでもどこでも観ることができるようになったのは慶事だが、非日常の空間だった映画が日常との間で揺れ動いている現実を見るのは寂しい。そうした現状を凌駕する痛快な映画を紹介する。
アニエス・ヴァルダ論の余白に
[日販商品データベースより]トリュフォーにおける教育
建国神話としての西部劇
「赤狩り」時代の映画作家たち
ヒッチについて私が知っている二、三の事柄
知られざるキューブリック
ゴジラ映画の光と影
宮崎駿のアニメーション
黒澤明とシェイクスピア
甦る記憶 過去と現在の間に
失われた家族の絆
ハロー、グッバイ
『青春デンデケデケデケ』あるいは青春という脆弱な響き
『八日目』上昇と下降のドラマ
映画の未来に向けて―まとめにかえて
映画館システムが崩れ、自宅などで自由に
映画が再生できるようになった現在、
映画館で観る映画と、自宅などで観る映画は
果たして同じものか、同じレベルで論じていいのか。
結論は出ないが、今言えるのは、
密室空間で、不特定多数の人と一緒に同じスクリーンを観る
映画館システムが崩壊しつつあるということだ。
少数の見知った人と画像を観る体験は同質のものを
求めるlike の世界だろうし、それに対し、
見知らぬ人々と時間を共有し同じスクリーンを観るという
体験は、異質なものを求めるlove の世界と同質のものだろう。
交わりの空間がそこにできれば幸いだが、他者不在の個だけを
突き詰めた先には不毛な世界が待っているのではないだろうか。
異なるものを受け入れて、自分の世界を再構築する場としての
映画館は、もはやノスタルジーの対象でしかないのだろうか。
小奇麗なシネコンの館内で観る映画は、小汚い、胡散臭さが漂う
昔風の映画館を駆逐してしまった。
昔はいざ知らず、還暦を超えた今は僕も、DVDとかでごまかして
映画を観ることも多くなってきた。
簡便に映画を、いつでもどこでも観ることが出来るようになった
のは慶事だが、非日常の空間だった映画が日常性との間で
揺れ動いている現実を見るのは寂しい気もする。
本書ではそうした現状を凌駕するような痛快な映画をご紹介する。