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- 大森荘蔵ー哲学の見本
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- 価格
- 1,100円(本体1,000円+税)
- 発行年月
- 2015年07月
- 判型
- 文庫
- ISBN
- 9784062923095
[BOOKデータベースより]
隣の部屋のテーブルは、誰も見ていなくてもある、つまり、知覚されていなくても物はある。私は他人の痛みを痛むことはできない、他人の心のありようは知りえない―物と知覚、他我問題など哲学の根本問題と切り結び、独自の思索を展開した大森荘蔵。「その全身で自らの思索を刻んでいく姿を描き出し」た、哲学の魅力あふれる一冊。
1 「超越」という問題(物と知覚;電子の存在;他我問題;知覚像語の構成)
2 無限集合を生成する言葉(二元論批判;「超越」の正体;知覚因果説への応答;物と知覚の重ね描き)
3 立ち現われ一元論への転回(「心の作用」の否定;知覚と思い;世界そのものが立ち現われる;立ち現われの虚と実)
4 立ち現われの風景(想起と過去;四次元宇宙と有情の世界;重ね描き・無脳論・脳透視;他我の虚想とアニミズム)
5 言語的制作の可能性(語り存在;過去の制作;経験の時間と制作された時間;自我と他我)
隣の部屋のテーブルは、誰も見ていなくてもあるだろうか。つまり、知覚されていなくても物はあるのだろうか。普通はあると考える。でも、本当にそう言えるだろうか。ここに、哲学の思考が生まれる。全身で自らの思索を刻んでいった稀有な哲学者、大森荘蔵の哲学を、筆者自身の思考も交叉させつつ、鮮やかに浮き彫りにした快著! (講談社学術文庫)
他人にも心があり、その心のありようは、おおむね私と同様である、と常識的には考える。しかし、その考えが正しいと保証してくれる証拠はどこにもない。「他我問題」という、哲学の大テーマである。私に他人の「痛み」がわかるか、他人の痛そうな外見と、私が知っているあの「痛み」の感覚が同じとは限らないではないか。――
大森荘蔵は、このような哲学の大テーマを、独自の思索をかさねて考え続けた。その道筋を、著者は初期の論文から晩年に至るまで、ていねいに追っていく。そこには、哲学することの本質が現れている、という確信がある。
著者は、「はじめに」でこう書く。
「私は、大森荘蔵という一人の哲学者が、その全身で自らの思索を刻んでいく姿を描き出したかった。大森ブランドの哲学製品をショーウインドウの並べ、解説したり値踏みしたりするのではなく、それを作り、壊し、未完成のまま低く呻き声をあげている、その生身の身体を、読者の前に差し出したい。乱暴に言い切ってしまえば、そうして、『哲学ってのはこうやるもんなんだ!』と見得をきりたいのである。」
近代日本の哲学者の思索の本質と魅力を描き出す「再発見 日本の哲学」シリーズ、学術文庫版の第一弾!
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著者は、「はじめに」でこう書く。
「私は、大森荘蔵という一人の哲学者が、その全身で自らの思索を刻んでいく姿を描き出したかった。大森ブランドの哲学製品をショーウインドウの並べ、解説したり値踏みしたりするのではなく、それを作り、壊し、未完成のまま低く呻き声をあげている、その生身の身体を、読者の前に差し出したい。乱暴に言い切ってしまえば、そうして、『哲学ってのはこうやるもんなんだ!』と見得をきりたいのである。」
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