2013年 3月号
『津波の墓標』
被災地で見た忘れられない光景
圧倒的な現実を目の前にしたとき、取材者はどうそれを表現すべきか。著者の石井光太氏は、ジャーナリストの松本仁一氏との対談でこう話している。
「まずは現場に入って、見たこと、聞いたことを、そのまま読者にぶつけるしかない。(略)現実を知ってもらい、一緒に悩んでもらうことにこそ、ジャーナリズムやノンフィクションの真の意義があると僕は思っています」(『読楽』2013年2月号)
取材者はときとして、どう書けばいいのか悩むような「わりきれない現実」に直面することがある。そんなときは、その悩みも含めて正直に書けば、読者も「じゃあどうすればいいんだろう?」と悩んでくれる。そうした疑問符を読者の心に打ち込むことこそ、ノンフィクションを書く意義であるという。
本書はまさに、東日本大震災という未曾有の惨劇を目の当たりにした著者が、悩みに悩みながら綴ったものである。
ある市の職員が、津波で流された友人の兄から、弟の遺体が見つかったら教えてくれるよう頼まれた。毎日安置所で遺体の顔を見つづけるが友人はみつからない。やがてその兄から矢のような催促がくるようになる。「弟はまだみつからないのか」。どうしていいかわからず重圧に押しつぶされたその職員は、心を病んでしまい結局休職することになってしまった。
ブルーシートをめくって遺体の顔を撮影しているカメラマンに出会った。抗議の意味も込めて、そのカメラマンの写真を撮ると、「頼むから公開しないでくれ」と懇願された。下請けのフリーカメラマンとして、大手メディアから依頼があればやらざるを得ないという―。
何がよくて何が悪いのか。答えのない現実の前でただ立ちすくむしかない。そんな著者の心情も含めて、ありのままに震災の真実が綴られていく。
現場にいつづけた著者の心に刻み込まれた、忘れられない光景とは。
読んで、一緒に悩んでほしい。
(日販発行:月刊「新刊展望」2013年3月号より)
今月の作品
- 津波の墓標
- 石井光太
- 映画化が決定した『遺体』では描けなかった震災の真実の姿を、写真とともにあぶりだすノンフィクションエッセイ。「読楽」2012年1月号〜11月号に掲載された作品に、大幅に加筆、修正した1冊。