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講談社 本村凌二
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没後30年、日本一愛された男。『狂った果実』『俺は待ってるぜ』『嵐を呼ぶ男』『太陽への脱出』『赤いハンカチ』『夜霧よ今夜も有難う』…石原裕次郎と共に歩んだ「あの時代」の物語。
第1章 兄弟が贈った日本版ヌーベルバーグ―『狂った果実』昭和三一(一九五六)年・監督:中平康第2章 夜霧にむせぶ哀愁の叙情詩―『俺は待ってるぜ』昭和三二(一九五七)年・監督:藏原惟繕第3章 すれ違う母と子の物語―『嵐を呼ぶ男』昭和三二(一九五七)年・監督:井上梅次第4章 やってはならないこと―『赤い波止場』昭和三三(一九五八)年・監督:舛田利雄第5章 死によって打ち砕かれるもの―『世界を賭ける恋』昭和三四(一九五九)年・監督:滝沢英輔第6章 「性の自由」なる風潮へのアンチテーゼ―『憎いあンちくしょう』昭和三七(一九六二)年・監督:藏原惟繕第7章 必死に耐えながらも傷ついてゆく男の宿命―『太陽への脱出』昭和三八(一九六三)年・監督:舛田利雄第8章 恐ろしいほどの時代の感受性―『赤いハンカチ』昭和三九(一九六四)年・監督:舛田利雄第9章 ミステリアスな叙情詩の最高傑作―『帰らざる波止場』昭和四一(一九六六)年・監督:江崎実生第10章 揺れ動く現実世界に巻き込まれた男と女の悲哀―『夜霧よ今夜も有難う』昭和四二(一九六七)年・監督:江崎実生
裕次郎が52歳の生涯を閉じてから30年。生粋の裕次郎ファンであり、彼の歌なら100曲以上は唄えるという東大名誉教授・本村凌二氏がこのたび、1章につき1本の映画を丹念に辿りながら、裕次郎が生きた60年代について書き下ろした。石原裕次郎と共に歩んだあの時代の物語が、幕を開ける。2017年7月、裕次郎が52歳の生涯を閉じてから、30年を迎える。死後30年を経てもなお、彼を愛してやまないファンは数多いだろう。生粋の裕次郎ファンであり、彼の歌なら100曲以上は唄えるという東大名誉教授・本村凌二氏は、彼の「リーダーとしての側面」に注目する。「ことさら裕次郎に注目するのは、昭和史の世相の一齣を語るためではない。私には、裕次郎は稀に見るリーダーとしての資質を備えた人物である、と思えてならないのだ。それは、肝がすわっている、大局的な見方ができる、戦略的思考にたけている、などの次元ではない」・・・・・・なぜ、彼はそれほど魅力的だったのか? なぜ、あの時代に彼は登場し、最も愛され、熱狂的支持を集め続けたのか?『狂った果実』『俺は待ってるぜ』『嵐を呼ぶ男』『世界を賭ける恋』『太陽への脱出』『夜霧よ今夜も有難う』・・・・・・本村氏はその答えを探るべく、1章につき1本の映画を丹念に辿りながら、裕次郎が生きた60年代について書き下ろした。裕次郎の生き様に憧れていた本村氏があの時代を振り返るとき、読者にはこの日本に足りない「傑物」の実像が見えてくるだろう――石原裕次郎と共に歩んだあの時代の物語が幕を開ける。<本文より>私が裕次郎の映画を見たのは「嵐を呼ぶ男」が最初である。総天然色の作品だった。正月映画として年末に封切られたので、お祭り気分で見にいった。一〇歳の小学四年生だった。同じころ、真空切りの少年剣士の映画『赤胴鈴之助』も見ているから、未熟でアンバランスな少年期だったのだろう。片手を潰された裕次郎がドラム合戦のなかで手を伸ばしマイクをとって歌いだす。その意外さと格好よさに聴衆の割れんばかりの大喝采がおこり、その熱気は映像の観衆をものみこむかのようだった。私もまた目を輝かせて見ていた記憶がある。画面の観衆も映画の観衆も一体となって興奮の坩堝と化したのであり、その名場面は伝説のごとく後世にも語り継がれたらしい。国民的ヒーローとしての裕次郎が誕生したときである。
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1位
又吉直樹
価格:1,320円(本体1,200円+税)
【2015年03月発売】
一覧を見る
[BOOKデータベースより]
没後30年、日本一愛された男。『狂った果実』『俺は待ってるぜ』『嵐を呼ぶ男』『太陽への脱出』『赤いハンカチ』『夜霧よ今夜も有難う』…石原裕次郎と共に歩んだ「あの時代」の物語。
第1章 兄弟が贈った日本版ヌーベルバーグ―『狂った果実』昭和三一(一九五六)年・監督:中平康
[日販商品データベースより]第2章 夜霧にむせぶ哀愁の叙情詩―『俺は待ってるぜ』昭和三二(一九五七)年・監督:藏原惟繕
第3章 すれ違う母と子の物語―『嵐を呼ぶ男』昭和三二(一九五七)年・監督:井上梅次
第4章 やってはならないこと―『赤い波止場』昭和三三(一九五八)年・監督:舛田利雄
第5章 死によって打ち砕かれるもの―『世界を賭ける恋』昭和三四(一九五九)年・監督:滝沢英輔
第6章 「性の自由」なる風潮へのアンチテーゼ―『憎いあンちくしょう』昭和三七(一九六二)年・監督:藏原惟繕
第7章 必死に耐えながらも傷ついてゆく男の宿命―『太陽への脱出』昭和三八(一九六三)年・監督:舛田利雄
第8章 恐ろしいほどの時代の感受性―『赤いハンカチ』昭和三九(一九六四)年・監督:舛田利雄
第9章 ミステリアスな叙情詩の最高傑作―『帰らざる波止場』昭和四一(一九六六)年・監督:江崎実生
第10章 揺れ動く現実世界に巻き込まれた男と女の悲哀―『夜霧よ今夜も有難う』昭和四二(一九六七)年・監督:江崎実生
裕次郎が52歳の生涯を閉じてから30年。生粋の裕次郎ファンであり、彼の歌なら100曲以上は唄えるという東大名誉教授・本村凌二氏がこのたび、1章につき1本の映画を丹念に辿りながら、裕次郎が生きた60年代について書き下ろした。石原裕次郎と共に歩んだあの時代の物語が、幕を開ける。
2017年7月、裕次郎が52歳の生涯を閉じてから、30年を迎える。
死後30年を経てもなお、彼を愛してやまないファンは数多いだろう。
生粋の裕次郎ファンであり、彼の歌なら100曲以上は唄えるという東大名誉教授・本村凌二氏は、彼の「リーダーとしての側面」に注目する。
「ことさら裕次郎に注目するのは、昭和史の世相の一齣を語るためではない。私には、裕次郎は稀に見るリーダーとしての資質を備えた人物である、と思えてならないのだ。それは、肝がすわっている、大局的な見方ができる、戦略的思考にたけている、などの次元ではない」
・・・・・・
なぜ、彼はそれほど魅力的だったのか? なぜ、あの時代に彼は登場し、最も愛され、熱狂的支持を集め続けたのか?
『狂った果実』『俺は待ってるぜ』『嵐を呼ぶ男』『世界を賭ける恋』『太陽への脱出』『夜霧よ今夜も有難う』・・・・・・本村氏はその答えを探るべく、1章につき1本の映画を丹念に辿りながら、裕次郎が生きた60年代について書き下ろした。
裕次郎の生き様に憧れていた本村氏があの時代を振り返るとき、読者にはこの日本に足りない「傑物」の実像が見えてくるだろう――石原裕次郎と共に歩んだあの時代の物語が幕を開ける。
<本文より>
私が裕次郎の映画を見たのは「嵐を呼ぶ男」が最初である。総天然色の作品だった。正月映画として年末に封切られたので、お祭り気分で見にいった。一〇歳の小学四年生だった。同じころ、真空切りの少年剣士の映画『赤胴鈴之助』も見ているから、未熟でアンバランスな少年期だったのだろう。
片手を潰された裕次郎がドラム合戦のなかで手を伸ばしマイクをとって歌いだす。その意外さと格好よさに聴衆の割れんばかりの大喝采がおこり、その熱気は映像の観衆をものみこむかのようだった。私もまた目を輝かせて見ていた記憶がある。
画面の観衆も映画の観衆も一体となって興奮の坩堝と化したのであり、その名場面は伝説のごとく後世にも語り継がれたらしい。
国民的ヒーローとしての裕次郎が誕生したときである。