2014年 4月号
似鳥 鶏
デスノート効果
「デスノート効果」という言葉を御存知でしょうか。「デスノート」というのは某漫画に出てくる、名前を書くとその人が死んでしまう、というノートのことです。あるいは矢玉四郎原作「はれときどきぶた」になぞらえ、「はれぶた効果」と呼ぶこともあります。しかしいずれも馴染みのない言葉でしょう。さっき私が考えましたので。
言葉の意味については字面からおおよその想像がつくかと思われますが、小説に限らず、仕事や趣味で何かを書くことがある人は、たびたびこれに襲われます。私の場合も、新型インフルエンザを題材で扱った途端に中国でインフル感染者が報道されるとか、ワニの密輸を扱った途端に爬虫類密輸のニュースが流れるとか、そういったことがあって恐れおののいた経験があります。
今作はこれまで書いた中でもスリル度やノンストップ度が随一だと自負している本格サスペンスですが、脱稿後はやはりデスノート効果に襲われました。主人公の男は強姦容疑をかけられ、警察の手から逃亡して潜伏生活を送るのですが……先日、集団強姦容疑で身柄拘束されていた男が検察支部から逃走し、しばらく潜伏していたニュースを御記憶でしょうか。検察での容疑者の扱い等、社会的にいろいろと問題点を浮かび上がらせた事件でしたが、私はそのことより、ちょうどこの原稿を書き上げた直後だったことに驚愕しました。まあ、原稿内の主人公の方は冤罪であることが完全にはっきりしているのですが。デスノート怖い、と思いました。
しかし、もし本当に原稿に書いたことが現実になるというのなら、ネガティヴなことばかりではありません。空から豚が降るとか、貝殻やナマコや川越シェフが降るとか、地面から関西弁で喋るユアン・マクレガーが百人単位でぼこぼこ生えてくるとか、全人類がいきなりペンギンになったり、「ミラバケッソ!」しか喋れなくなったり、なんとなく宙に浮くようになったらどうなるだろうとか、楽しい想像もできるわけです。まあ地面からユアン・マクレガーがぼこぼこ生えてくる状況が「楽しい」かどうかは個人個人の主観によるわけですが、原稿の中でなら「ミラバケッソ!」しか喋れないユアン・マクレガーが川越シェフと一緒に空から降ってくる(吹き替えはちゃんと森川智之さん)、という話を書くこともできるわけで、それが小説を書く醍醐味の1つとも言えます。だんだん怖くなってまいりました。こんなこと書いたせいで本当に降ってきたらどうしましょう。
とはいえ、客観的に考えたら、原稿を書いた後だから現実世界に起こったことを何でも原稿に結びつけて考えてしまい、その結果自分の原稿がデスノートのように思えるだけ、というのがことの真相なのでしょう。この勘違いのことを、心理学では「デスノート効果」と呼ぶわけです(いや、さっき考えたのですが)。原因と結果は順序が逆である、ということが現実においてはしばしばあるわけで、何事も考えすぎは禁物ですよね。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年4月号より)
今月の作品
- 迫りくる自分
- 総武線快速に乗車中、本田理司は、併走していた各駅停車の車窓に自分と同じ顔をした男を見つける。ふたりは偶然再会し…。「戦力外捜査官」のドラマ化で注目を集める実力派の新鋭によるノンストップ・サスペンス。