【ロングインタビュー】 伊東潤 「歴史物語の王道を目指して」
聞き手 縄田一男
[ロングインタビュー]伊東潤 │ [特別寄稿]峠を越える力 │ [ブックガイド]伊東潤 作品一覧
普通の人、徳川家康
縄田 『峠越え』はたいへん読みやすかった。峠の頂に立って青空を見ているような、何とも言えない爽やかさがありました。
伊東 ありがとうございます。今回は、作家としての多様性を強く意識しました。たとえば、私の作品で『巨鯨の海』だけを読まれた方が次にこれを手にしたら、「同じ作家とは思えない」といった印象を持つのではないでしょうか。そういう意味で『峠越え』は、ライトなタッチの作品です。コメディとまではいかないまでも、司馬遼太郎さんの作品のように、戦国武士の滑稽さが、うまく表現できたのではないかと思っています。
縄田 家康の家臣たちがまた食えない奴ばかりで(笑)。家康については先行作品がたくさんありますが、家康の家臣についても過去いろいろな作家が書いています。それらと読み比べるのもおもしろい。たとえば、石川数正に関しては多岐川恭さんの『異端の三河武士』、穴山梅雪に関しては尾崎士郎さんの『戦国臆病風』といった作品があります。果たして伊東さんは石川数正を、穴山梅雪を、どう料理するのだろうか。そんな楽しみもありました。
伊東 会社勤めをしていた頃によく感じましたが、正論を吐く人っているんですよね。正論だけれど、別に斬新な意見ではない(笑)。石川数正には、そんな役回りを課したわけです。一方の梅雪は、生き残るために汲々とする小心者の典型として描きました。
縄田 これは、家康は凡庸だから生き残れたという逆説の物語ですね。
伊東 家康だけが、なぜ峠を越えられたのか。それは、凡庸な己を知っていたからです。「凡庸だからこそ、越えられる峠がある」というところに、この作品のメッセージは凝縮されています。
書いたのは約3年前ですが、当時の日本は閉塞感に包まれていました。老若男女が日本の将来に悲観しているような状況でした。そんな中で、先が見えないからこそ地にしっかり足を着けて己を知り、己が今出来ることをするのが大切だと思い、題材として、徳川家康を取り上げたわけです。
もちろん、家康を書いた先行作品はたくさんありますが、私は、漫画で描かれるようなデフォルメされた家康は書きたくない。ごく普通の人、つまり英雄でも人格者でもなく、かといって愚かでもない、そんな普通の人として家康を描きたかった。そういう人物の小説など、おもしろくないんじゃないかと思われるかも知れませんが、それでもおもしろいものを書くのがプロだと思いました。当時としては、精一杯のチャレンジでしたね(笑)。
縄田 山岡荘八の大河小説『徳川家康』は、終戦後間もなく書き始められ、織田をソ連、今川をアメリカ、弱小国三河を日本になぞらえて、戦後史と重ねながら15年戦争を振り返るといった趣きになっています。『峠越え』では現代の状況と重ね合わせられる部分はあっても、「当時の戦国の常識では」というくだりがあって、なるべく戦国期の武将の考えそのままを活かそうとなさっていますよね。伊東さんが戦国武将を書くときに大事にしているのは、どんなことですか。
伊東 リアリズムでしょうか。特にこの小説では、戦国の実相を描いていくことを心がけました。たとえば、今まで家康を肯定的に描いた多くの小説において、家康は人格者で、家臣たちは水火も辞さぬ忠臣ぞろいといったようなものが大半だったと思いますが、実際には、三河国は「寄子国衆」の力が強く、家康の支配力は脆弱でした。「寄子国衆」は土地と密着していて、主を選べる立場にあったわけです。こうした脆弱な統治基盤は、武田信玄や上杉謙信にも共通していますが、彼らは自己を神格化させ、その人格に従属させることで従わせていきました。北条氏の場合は、それを平等な法制度で行ったわけです。それに対して三河武士団というのは、必ずしも忠節一途ではなく、言うことをなかなか聞かない連中だった。この作品では、そうした等身大の彼らを描きました。
本能寺の変 新解釈
縄田 クライマックスとなる伊賀越えは、かなり詳細に書かれていて、どこまでが事実でどこからが創作で補われた部分なのかわからない。渾然一体となった見事なおもしろさがあります。
伊東 ありがとうございます。構成面で言えば、信長と家康の関係を少しずつはっきりさせていくのが前半部分。信長のいじめに耐える家康像を描いています。特に本能寺の変の前、家康は信長の命令で安土から京都、大坂、堺へと連れ回されるんですね。ここに1つの大きな謎があります。そして、それが後半の本能寺の変の真相にかかわってくるわけです。実は、本能寺を扱うのは難しいんです。今はもう「真犯人は誰か」という内容だけでは、読者は満足しませんから。そこで今回は、ある仕掛けを盛り込みました。そしてクライマックスは、いかに伊賀を脱出するかというアクションにしました。
縄田 本能寺の変に関しては、これまでも無数に書かれているのに、まだまだ新しい書き方が出てきている。八切止夫さんの『信長殺し、光秀ではない』から始まって、よくもまあ次から次へと新発想が出てくるなという感じです。しかし、リアリズムと空想の境目は難しいでしょう。
伊東 難しいですね。それでもいつか、自分の本能寺をやり遂げねばならないと思ってきました。歴史小説家にとって、避けて通れないテーマの一つですからね。リアリズムにこだわりながらも、奇想天外な仕掛けを用意する。歴史に詳しい人が読んでも「なるほど」とうなずけて、歴史に詳しくない人も純粋に物語として楽しめる。その二つを同一の作品で実現させる。これが今回、自分に課したハードルでした。歴史に詳しい人にも、詳しくない人にも、楽しめる作品になったと思います。
縄田 今は「マイナー武将の発見」みたいな作品が多くて、大物を書くのがどんどん難しくなっていますね。帯に「○○を恐れさせた男」といった言葉がたいてい書かれている(笑)。
伊東 自分では、マイナーな人物だけを取り上げてきたとは思っていません。今回の徳川家康という選択も自然な流れで、「こんな普通の人が天下を取ったのはなぜか」と思ったのがきっかけです。連載を始めた当初は、本能寺をこのように書くことも考えていませんでした。『戦国鬼譚 惨』の穴山梅雪のエピソード(「表裏者」)を、家康視点で描きつつ、さらにその裏にはこんな仕掛けがあったというのが、今回の趣向です。
縄田 家康は凡庸だと言われ続け、まわりの家臣にせっつかれて、残していくものと切り捨てていくものがうまい具合に出来ていくんですね。
伊東 家康は、決して正義の人ではない。それは家臣団の圧力が強く、その利益代表としての立場があったからでしょうね。そういう人間の弱さも、描きたかったことの1つです。
縄田 臆病な人間ほど用心深くもあり。しかし不思議ですね。信長、秀吉家康は皆ほぼ同じ風土の中から出てきている。そしてその個性は皆違う。
伊東 まさにそれが歴史のおもしろさですね。最底辺から這いあがった秀吉がいるので目立ちませんが、家康も、随分と苦しい立場からのし上がっていきました。信長も同様ですね。
3人に共通するのは、己の立場をよく知っていたことです。信長と秀吉は、相次ぐ成功により、最後には己を見失い、墓穴を掘ることになりますが、家康は最後まで己を知っていました。
私事で恐縮ですが、私はサラリーマン時代、マネジメントに向いているとよく言われました。自分でも、そう思っていました。ところが30代半ばになって、むしろ自己完結で何かをやることのほうが向いていると気づいたんです。自分1人ですべてに責任を持って何かをやるときは、すごく燃える(笑)。そこで、組織の中で生きることをやめて、コンサルティング会社を起業しました。しかしコンサルタントは、あくまでも軍師であって、決定権を持たない。ときには、雇い主が意見だけ聞いて実行に移さないこともあります。しかし小説を書くということは、自分に決定権があるわけで、まさに自己完結の世界です。今は天職が見つかり、本当によかったです。私同様、家康も、様々なことが積み重なって己を知ったのでしょう。己を知っているからこそ、その前提で的確な判断が下せたのだと思います。それは、主に慎重な判断だったわけですが。
(2014.1.23)
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年3月号より)
インタビューはまだまだ続きます。続きは「新刊展望」2014年3月号で!
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