2014年 3月号
伊吹有喜
博多の女、新潟の人
10年以上前の年末のことだ。渋滞を避けて深夜に車で帰省しているとき、助手席の窓から「博多の女(ひと)」と書かれたバスを見た。
博多名物のお菓子の広告かと思ったが、どうやら「博多の女号」という福岡に向かう女性専用の深夜バスらしい。それに気付いた途端、気っ風の良い博多美人たちが乗っている姿が心に浮かんだ。
なんて素敵なバスだ! しかし東京博多間は少なく見積もっても10時間以上かかる。
それだけの時間を費やしてバスで帰るのは、おそらく私が高速バスを利用するときの理由と同じに違いない。リーズナブルな運賃と、眠っている間に移動ができること。これは大きな魅力だ。
旅費を節約したその分で、乗客たちは年末に会う家族や大切な人へのおみやげを買っていくのかもしれないな……。そう考えたとき、このバスは強くて心優しい女たちを乗せていくのだと思った。
それから10数年後、連載の打ち合わせの席で、ロード・ムービーという言葉が出た。そのロードという言葉を聞いたとき浮かんだのは、なぜか高速道路をひた走る「博多の女号」のことだった。
その打ち合わせの翌日は、別件で新潟市に取材に行く予定があった。1人で行く取材だったので、深夜バスを利用することにした。乗り場は池袋駅近くにあり、ここには全国の地方都市へ向かう高速バスが集結する。私も何度かここからバスに乗ったことがある。地方に就職した友人に会いにいったときや、入院中の祖母の容態が急変したとき。その夜は最終の新幹線に間に合わず、ここから深夜バスで三重県の実家に向かった。
そんなことを思い出しながらバスに乗り込むと、斜め前の席に都内の美術館で開催された絵画展のカタログを持った女性が座っていた。個性的な服を着ていて、美術系の勉強をしている人のようだ。私の一つ前の席では中年の女性が息子と思われる若者に手を振っている。膝の上には浅草と書かれたみやげものの紙袋があった。
バスはすぐに走り出し、高速道路に上がると1回の休憩の後、関越トンネルに入った。そのトンネルを出たあと、外を見て驚いた。あたりは夜目にも真っ白で、突然豪雪地帯になっていた。
それからバスは停留所に止まった。一つ前の席の、息子に見送られていた母親が立ち上がり、静かに降りていく。走り出したバスから見ると、ボストンバッグとみやげものの袋を提げ、彼女は雪のなかを1人で歩いていった。
「博多の女」と同じく、ここにも強くて優しい人がいる。そう思ったとき、この高速バスを舞台にして、物語を書きたいと思った。
1月に刊行した『ミッドナイト・バス』は、この深夜バスを舞台に、1人の運転士とその家族の物語、そして乗客たちの物語の2つで構成された作品だ。
飛行機や新幹線にくらべてバスでの移動は時間がかかる。それでも行きたい場所、会いたい人、かなえたい夢が道の先にある。
夜を駆け抜けていくその思いを描ききれていたら、とても嬉しい。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年3月号より)
今月の作品
- ミッドナイト・バス
- 東京での仕事を辞め、故郷で深夜バスの運転手となった利一。様々な事情を抱え夜を渡る人々を見てきたが、ある夜思わぬ人が乗車する…。家族の再生と再出発をおだやかな筆致で描く、伊吹有喜の新たな代表作。