2014年 1月号
久坂部 羊
教授のオススメ
●某月某日
現代は2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ時代と言われる。それはほかの病気で死ぬ人が減ったということでもあるが、がんは現代医療にとって最大の敵のようだ。
『病の皇帝がんに挑む 人類4000年の苦闘』(シッダールタ・ムカジー著・早川書房)によると、がんは古代エジプト時代からその存在を知られ、膨大な研究が積み重ねられてきたにもかかわらず、いまだに本態は解明されていないという。
がんは正常細胞の増殖機能を悪用し、増殖制御システムを破壊し、古い細胞を死滅させるアポトーシス(細胞死)作用を凍結させることで、不滅の命を得る。新しい血管を作って栄養を確保し、抗がん剤を細胞外に排出し、隠れ家に入って自らを防衛する。正常細胞よりはるかにしたたかに見えるが、唯一の弱点は、増殖しすぎると宿主が死に、自らも生きられないことだ。
すなわち、がんを死滅させるもっとも確実な方法は、宿主の死ということになるが、そういうイヤな事実はなかなか世間に伝わらない。だから、患者はあらぬ希望にすがり、苦しむ。医者もほんとうのことが言えずに、悩む。拙作『悪医』は、そういう矛盾と苦悩をテーマにしたジレンマ小説だ。
前出の本を勧めてくれたのは、大阪大学医学部の仲野徹教授。彼は私の大学の元同級生で、最近、書評やエッセイに活躍の場を広げ、本書の解説にも健筆をふるっている。
●或月或日
久しぶりに夢中になれる本に遭遇。行動経済学の名著、『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』(ダニエル・カーネマン著・早川書房)だ。勧めてくれたのは大阪大学経済学部の大竹文雄教授。
この本は人間がいかに直感に頼り、状況に左右されやすいかを解き明かしている。たとえば「この手術は成功率95%です」と言えば、たいていの人が安心するが、「20人に1人死にます」と言うとみんな不安になる。あるいは、鳥インフルエンザの死亡者は人口の0.00001%と報じてもニュースにならないが、「10人死亡」と書けばみんな恐れる、というようなことだ。
行動経済学は小説を書くのにも役立ちそうだ。読者は「見たものがすべて」の法則に従い、「プライミング効果(先のものに後のものが影響されること)」を受け、「もっともらしさの錯誤」に陥ることなどを踏まえれば、あっと驚くドンデン返しが書けるのでは?(じゃあ書いてみろと言われると困るが)
●吉月吉日
大阪大学文学部の金水敏教授は、「役割語」の発見者として知られる。役割語とは、聞いただけで性別や年齢などがわかる言葉遣いのことで、たとえば、「わしは〜じゃ」と言えば老人、「ごめん遊ばせ」と言えばお嬢様、「〜アルヨ」と言えば中国人という具合だ。
おもしろいのは、実際の老人もお嬢様も中国人も、そんな話し方はしないのに“わかる”というところだ。
『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(金水敏著・岩波書店)には、役割語の起源、実例、バリエーションが一般向けにわかりやすく解説されている。役割語でなぜわかる≠ゥというと、我々の判断基準にやはり偏見や思い込みが組み込まれているからだろう。
小説を書く上でも、役割語的な発想は役に立つ。ある短編を書いているとき、主人公がどうもしっくり来なかったが、一人称を「俺」にして、「です・ます調」で書いたら、やさぐれているけれど気の弱いキャラがすっと立った。これも日本語の小説ならではだろう。たいていの外国語には一人称は一つなのだから。
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以上、大学教授の畏友・親友・悪友オススメの3冊。但し、だれが×友かは申せませんが。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年1月号より)