2013年 10月号
垣根涼介さん 『光秀の定理(レンマ)』
著者初の歴史小説。「もしプロとして10年間、モノを書き続けられていたら、歴史小説を書き始めてみようと思っていた」という。『ワイルド・ソウル』『ゆりかごで眠れ』『君たちに明日はない』……13年のキャリアで現代小説のヒット作を数々生み出してきた。その間、一方で歴史小説を書く準備も重ねていたのである。
「デビュー以降、史料は読み続けていました。日本史の流れを自分なりにつかむために。当時の世界観を知ろうと仏教書も読みました。その上で、ピックアップする人物を考えていった。結局、形になるまで10年以上かかりましたね」
そうして描いた人物は、明智光秀。のちに「本能寺の変」を起こすに至る彼の青春の物語である。
「光秀を選んだのは、モダンな人間だったから。史料の中にその足跡が残っています。人に対する優しさ、側室を置かなかったこと、小心者で他人の評価を非常に気にするところ……。あの時代、そんな人間はほかにいなかったのではないか。光秀は、現代にいても不思議ではないキャラクターなんです」
主君の織田信長は、言わば「ブラック企業」。明智一族を一身に背負う光秀はそこで懸命に働き、織田家中で出頭していく。だが働けば働くほど、求められるものは大きくなる。それでも彼は生真面目に励むのである。
「ただ、そんな苦労ばかりの話は書きたくない。主殺しという事実から暗い印象を持たれてしまう光秀の人生にも、楽しい時代はあった。それを明るいトーンで書こうと思いました」
そこで登場するのが、光秀の2人の友─坂東生まれの剣客浪人・新九郎と、路上博打を生業とする謎の坊主・愚息。『光秀の定理』は、彼ら3人の友情物語でもある。
「真面目で有能な光秀も、友達の前では不器用で情けない男なんです。愚息から叱られ、新九郎からはヘタレと思われて(笑)。2人の友を通して光秀を立体的に照らし、暗いイメージを変えてみたいという思いもありました」
若き日の3人の出会いはその後の歴史に大きく関わっていくこととなる。永禄11(1568)年、信長の六角氏攻め。光秀は長光寺城へと行軍する。山城に至る道は4つ。うち三つには伏兵が潜む。そのとき光秀の脳裏に閃いたのは、4つの椀を用いる愚息の賭博だった。本作のもう一つのテーマがこの「4つの椀」だ。確率論を絡めたミステリーが史実と融け合うエンターテインメントの妙。それがこの歴史小説のさらなる魅力である。
「現代小説と歴史小説では、言葉づかいもテンポも違って苦労しました。書き方に対する意識も今までの作品とは少し違う。でも『やっぱり垣根の小説だ』と感じていただけると思います。自分自身は変わらず、ベースにあるものは同じだから」
これからも歴史小説において「書きたい題材はたくさんある」と語る。
「今作が市場に受け入れられたら(笑)、『信長の原理』『家康の条理』の三段構えを考えています」
(日販発行:月刊「新刊展望」2013年10月号より)
今月の作品
- 光秀の定理
- 永禄3年、京都。3人の男たちが出会った。貧乏侍・新九郎、なぞの坊主・愚息、浪人中の明智光秀。やがて3人は歴史の重い扉を開いていく…。戦国の世に一瞬の光芒を遺した男たちの軌跡を描いた、新感覚の歴史小説。