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特集・対談

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小さいおうち
小さいおうち
中島京子
昭和初期、女中奉公にでた少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに“恋愛事件”の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきて―。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。著者と船曳由美の対談を巻末収録。
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一〇〇年前の女の子
一〇〇年前の女の子
船曳由美
正月にはお正月様をお迎えし、十五夜には満月に柏手を打つ。日本のどこにでもあった昔懐かしい村に、貧しくも命たからかに生きた少女の物語。
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女中譚
中島京子
90歳を超えるばあさんは「アキバ」のメイド喫茶に通い、かつて女中をしていた若かりし頃の思い出にふける。いつの世にもいるダメ男、わがままお嬢様、変人文士先生につかえる、奥深い女中人生…。直木賞受賞作『小さいおうち』の姉妹小説。
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ユリシーズ 1
ユリシーズ 1
ジェームズ・ジョイス 丸谷才一 永川玲二 高松雄一
ダブリン、1904年6月16日。私立学校の臨時教師スティーヴンは、22歳、作家を志している。浜辺を散策した後、新聞社へ。同じ頃、新聞の広告を取る外交員ブルームの一日も始まる。38歳、ユダヤ人。妻モリーの朝食を準備した後、知人の葬儀に参列し、新聞社へ。二人はまだ出会わない。スティーヴンは酒場へ繰り出し、ブルームは広告の資料を調べるため国立図書館へ向かう。時刻は午後1時。
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のろのろ歩け
のろのろ歩け
中島京子
異国の街、アジアの雑踏の中で彼女たちが出会った人、見つけた恋。時に心細く、時に大胆に異国をゆく主人公の心の波立ちを丁寧に、飄々としたユーモア漂うタッチで描く3つの物語。ふらふら旅にでたくなる中篇集。
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失われた時を求めて 1(第1篇)
失われた時を求めて 1(第1篇)
マルセル・プルースト 鈴木道彦
語り手が眠りに引き込まれてゆく描写から、小説は始まる。夢現の状態、目ざめ、そのときに思い起こすコンブレーでの幼年時代、母が与えてくれた「おやすみ」のキス…。しかしこれらの記憶は断片的で、本当に生きた過去を返してはくれない。ところが後になって、ある冬の日に、何気なく紅茶に浸したプチット・マドレーヌを口に入れたとたん、幼年時代に味わった同じマドレーヌが思い出され、それと同時に全コンブレーの生きた姿が蘇る(第1篇第1部)。
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2013年 9月号

【対談】 中島京子×船曳由美 大正・昭和の女の子―その時代と暮らし

※本稿は、学校法人城西大学「エクステンション・プログラム」文学講座を採録の上、再構成したものです。

中島京子 Kyoko Nakajima
1964年東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業、主婦の友社勤務。フリーライターを経て、2003年『FUTON』でデビュー。10年『小さいおうち』で第143回直木賞を受賞。著書に『イトウの恋』『均ちゃんの失踪』『冠・婚・葬・祭』『平成大家族』『女中譚』『エルニーニョ』『花桃実桃』『東京観光』『眺望絶佳』『のろのろ歩け』ほか多数。エッセイ集に『ココ・マッカリーナの机』、訳書に『地図集』(董啓章 著、藤井省三 共訳)がある。

船曳由美 Yumi Funabiki
1938年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業、平凡社に入社。雑誌「太陽」に創刊時より関わり全国各地の民俗、祭礼、伝統行事を取材、『黒川能』(真壁仁 文・薗部澄 写真)、『東大寺』(土門拳 写真)などを生みだす。集英社勤務を経て、フリー編集者。M・プルースト『失われた時を求めて』(鈴木道彦 訳)、J・ジョイス『ユリシーズ』(高松雄一・永川玲二・丸谷才一 訳)、『若い藝術家の肖像』(丸谷才一 訳)などを担当。2010年『一〇〇年前の女の子』を出版。

都市と地方 文化の対比

船曳 『小さいおうち』の表紙には、丸囲みの中に手を握り合って窓の外を眺めている二人の女性の絵が描かれています。この二人――女中のタキちゃんと時子奥様、そして時子奥様の息子の恭一ぼっちゃんをめぐる物語です。時代はといえば、赤い三角屋根の「小さいおうち」が東京郊外の町に建ったのが、昭和10年(1935年)。細い坂道を上がっていくと、石造りのポーチがあり、広いお玄関に入ると、洋間があり、茶の間があり……。そんなに大きくはないけれど、よくできた和洋折衷のおうちですね。ここが、ある秘められた恋の物語の舞台でもあります。しかしこの本の素晴らしさは、昭和10年から戦争に向かって時局が傾斜していく世相を背景に、「小さいおうち」でのささやかな暮らしがどんなふうに営まれてきたか、それが書かれているところにもあるんです。
それで思うのが、「小さいおうち」はどこにあったのか。「○○線の△△駅を降りて歩いていくと……」ということは書かれていません。それが逆にこの物語を大きく膨らませていると思うのですが。どこにあったか、よく聞かれるでしょう?
中島 はい、しょっちゅう聞かれます。ご自分でどこだと決められている方もたくさんいらっしゃるので、「そこかも知れません」とお答えするようにしていますが(笑)。
船曳 関東大震災(大正12年)の前くらいから、東京では郊外の私鉄沿線の町に家を持とうという中流家庭層ができ上がってくるんですね。誰もが自分なりの小さなおうちを持ちたいと願った。かつて国木田独歩が「武蔵野」で描いたような雑木林の中に、小さな文化住宅を建ててモダンな暮らしをしたい。それが、ある層にとっての憧れだったと思います。そこを掬い取って描写しているわけですね。
中島 女中さんを主人公にしたかったんですけれども、都市部で核家族に女中さん一人という家庭ができるのが、大正から昭和の初めくらいです。それで、この時代で書こうと思いました。
一〇〇年前の女の子』は、テイちゃんという女の子の物語です。『小さいおうち』と時代が重なる部分もありますが、少し前の時代から始まります。テイちゃんが、栃木県の高松村で生まれるのが明治42年(1909年)。そして時代はすぐ大正に移っていきます。その高松村でのお話が大部分ですが、これがすごくおもしろい。小さな村の暮らしや年中行事がきめ細やかに描かれているところが素晴らしいんです。物語の最後のほうでテイちゃんは、女学校を卒業して東京に出ます。その東京が、まさに『小さいおうち』の舞台となる東京なんですね。都市の市民層が出現し、テイちゃんは女の子だけど手に職を付けて働くことになります。その都市と地方の対比が、私は読んでいておもしろいなと思いました。それが100年の中に描かれることのおもしろさです。
船曳 『小さいおうち』のタキちゃんは、13歳のときに山形から上京してきますね。あの頃、カタカナの名前は多いんですけれども、『一〇〇年前の女の子』で書いた私の母の名はテイ。カタカナ二文字の女の子の名前というのも共通していますね。

食べ物の描写が示すもの

船曳 タキちゃんがいちばん心を砕くのはお料理ですよね。
中島 そうですね。だんだん戦争になっていく時代、その変遷は食べ物を見ているといちばんよくわかるということもありましたし、女中さんらしい心の遣い方を表せるのではないかと思って、食べ物についてはかなり一生懸命書きました。自分も食べるのが好きで、作るのも好きなんです。
一〇〇年前の女の子』で私がいちばん好きなのも、食べ物に関する描写です。こういう時代の田舎ですから、大したものを食べていないような気がしてしまいますが、そうではないんですね。そしてすごくおいしそうなんです。たとえば、秋の「コウシン様」のお膳。厚ぼったい油揚げを甘く煮つけたのが一枚、お皿に被さっていて、その下には里イモ、ニンジン、ゴボウの煮付け。油揚げ、おいしかっただろうなあ。それから、季節ごとに作るおまんじゅう。夏の水まんじゅうなんか、とってもおいしそうです。時代もありますが、地方の生活のいきいきとしたところがそんなお料理に表れていると思いました。
船曳 昔の人は手を抜きませんから。たとえば草餅を作るとき、ヤスおばあさんはうるち米を2日前くらいから石臼で丁寧に丁寧に挽くわけです。子どもの頃、ヨモギを摘んで草餅にしたでしょう? あ、世代が違いますね。
中島 いえいえ、私は八王子で育ったので、家庭科の授業でヨモギ餅を作りました。校庭でヨモギを採ってくるところから始めるんです。
船曳 校庭ね。本当はそんな平地ではダメなのよ。小川の水気があるところでちょっと顔を出したのがいい。
中島 やわらかいんですね。
船曳 そう。田舎で鎌でばさばさ刈るくらい大きく伸びたヨモギを採っていって、「こんなの草餅にできねえよ」と全部捨てられたことがあります。ですから3月初め頃の寒いときに摘むんです。
中島 『小さいおうち』の食べ物に関して言えば、戦争の時代、食べ物がなくなってくる中でタキちゃんはいろいろ工夫しますね。それで、すごくおもしろかったことがあります。私は「主婦の友」という女性誌の編集をしていたことがあって、「お給料日前、家計ピンチのときの節約おかず」といった企画で何度も誌面を作りました。
船曳 まあ。どんな節約ですか。
中島 給料日前は、「卵・冷凍ロールイカ・豚肉」のおかずです。安いから。節約法ではたとえば、ニンジンの葉っぱの部分を水耕栽培のようにして育てて、お料理の彩りにしたり天ぷらにしたり。ところが調べてみると、そういうのは戦時中の女性誌にも載っていたんです。記事の作り方がそっくりだった。それは非常におもしろかったです。
船曳 タキちゃんは晩酌のおつまみに、缶詰のコンビーフをサイコロに切って葱といっしょにちょっとあぶるとか、小さく切って焼いた油揚げに山葵漬けを詰めてお醤油をひと垂らしするとか。ちょっと手間がかかりそうだけど、どんなにおいしいかと。
中島 おいしいです。ちょっとやってみてください。
船曳 タキちゃんは平井家に女中さんに来て昭和10年に洋館が建ったとき、女中部屋をもらいます。たった二畳の板間ですが、それが自分にとってはお城のように思えるんですね。彼女は山形の農家の子で6人きょうだいで、自分の個室なんてあり得ない。自分のまわりの空間すらない。女中部屋は、13歳で奉公に上がった彼女が個人としての自我に目覚めていくような、個が確立する空間だったわけです。そして「わたし、一生、この家を守ってまいります」と宣言するんですね。そこのくだりのけなげさ。何度読んでも泣けてくるくらい素晴らしいです。
中島 ありがとうございます。

田舎の年中行事

船曳 中島さんのお父様は(埼玉県)熊谷のご出身だとか。
中島 はい。高松村は栃木ですが、館林の隣でかなり群馬に近いですね。うちの田舎は埼玉ですが、北関東で文化圏がつながっていて、方言もよく似ています。懐かしく拝読しました。
船曳 田舎にはよくいらっしゃいましたか。
中島 子どもの頃はお盆などに必ず帰っていました。おもしろかったです。『一〇〇年前の女の子』にもお盆のシーンが出てきますね。迎え盆はよく似ていて、提灯を持ってご先祖様を迎えに行きました。火の入った提灯にはご先祖様がいらっしゃるから、火を消さないよう、そーっと持って帰ってきました。不思議な感じで覚えているのは、家に入る前に足を洗うふりをすること。そうしないと上がってはいけないと言われて。鬼灯(ほおずき)の飾りも懐かしいです。それから、おうどん。あの辺は年中行事のごちそうと言えば、うどんですよね。似ているなと思いました
船曳 お盆は旧暦の七月。迎え盆は子どもたちが提灯をさげてお墓に行きました。お墓の前でお線香を手向け、くるっと背中を見せる。するとお墓の中からご先祖様が出て来て背中に乗られるんです。それを背負って家まで帰る。子どもたちは最初だけ背負う恰好をして、すぐにスタスタ歩いてしまうけれど、おばあさんは本当に「ああ、重たい」と途中で休んだらしいです。ご先祖様はいちばん迎えてほしい人の背中に乗りたがるから、おばあさんは何人もおぶさられるらしくて。おぶって帰ってきたら縁側から上がって、盆棚の前で「着きましたよ」。ご先祖様はスルスルっと背中から降りてお位牌の前に上がり、ごちそうを見渡すらしいです。盆棚は畳1枚分、4本柱の組み立て式で、上にしめ縄を張って、杉の葉と御幣と、10個くらい実がついた鬼灯の枝が200本近く必要だった。だから田舎ではお盆のために畑で何畝も鬼灯を作っていたんです。
昔は年中行事をするためにどんなに心を砕いていたか。それが季節の巡りになっていました。

(2013.7.6)

(日販発行:月刊「新刊展望」2013年9月号より)

対談はまだまだ続きます。続きは「新刊展望」2013年9月号で!

Web新刊展望は、情報誌「新刊展望」の一部を掲載したものです。
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新刊展望 9月号
【今月の主な内容】
[まえがき あとがき] 中山七里 七色の毒 七色の変化球
[対談] 大正・昭和の女の子─その時代と暮らし 中島京子・船曳由美
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