【特集】 ニシカナコ的世界
[インタビュー] 西加奈子さん │ [特別寄稿] 神に選ばれし関西人 │ エディターズガイド『ふくわらい』
祝福がふりそそぐ物語
―まずは最新刊『ふる』についてお聞かせください。主人公は、池井戸花しす、28歳。誰の感情も害さないようにと常に受け身で生きてきた彼女が、あることに「気づく」までの物語です。読み終えた瞬間、「自分が生まれてきたこと、生きていること」に思いを馳せ、幸せな気持ちがふわーっと湧き上がってくるような小説でした。どのようにして生まれた作品ですか。
西 三年くらい前、友達に「こういうイメージの小説を書きたいねんけど」と話していたことがあります。何か白くてふわふわしたものをみんながそれぞれ持っていて、それは人によってカバンに見えたり、サーフボードに見えたりするんだけど、それが人を貫いてつなげているような感じ。すごくぼんやりしていて、本当に「こんな感じ」というものでしかなくて、これは書くのは難しいなと思っていました。
それと別にもうひとつ書きたいと思っていたことがあって、それは、女性器のことなんです。すごく変な形じゃないですか。私たちが持っているものなのに自分が一番見られないし、すごく不思議な存在だなと思っていたんです。でもそれを書くのもまた難しい。そういう二つの「書きたいけど、どうしていいかわからない」ものが私の中にあったんです。
一年ほど前、高野山の宿坊に泊まりにいく機会があって、その前に仏教の本をたくさん読みました。そのうちの一冊、『えてこでもわかる笑い飯哲夫訳般若心経』の中にあったのが、人間というのは、ドロドロドローとした液状の中にたまたまぽこぽこっと浮いている米粒みたいなもの、と。それを読んだとき、ビビッときたんです。「白くてふわふわしたもの」のことが。上から見たら人間は粒粒で、でもミクロで見たらそれぞれの人生があって……。それともう一冊、別の本で一休宗純の逸話に惹かれました。一休さんは、川で洗濯している女の人の露になった性器に手を合わせてこう言ったそうです。「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦や達磨もひょいひょいと生む」。この二つがいっぺんに自分の中に入ってきたときに「あ、書けるかも」と思いました。
よく書けたなと思います。自分でもぼんやりとしかわからない、「こういう感じ」としか説明できなかったものを文字にしていくのはすごく難しかった。
―そうやって苦労して書き上げられて、今までと違う何かをつかんだ感触はありますか。
西 「今回は今までと違うかも」と思いながら書いて、それが書けたのはうれしかったです。でも結局私は「生きているってほとんど奇跡だ」「生きているだけですごいんだ」ということを書きたくて、どの作品でもそれは変わらない、そのことがわかって安心もしました。ずーっと、私が書きたいことはこれなんやと再確認できた。だから、新境地でもあるし、今までと変わらないなという思いもあります。
―言葉が「空から降ってくるように、書いてある」という場面が繰り返し出てきます。
西 それも「感じ」としか言えないんだけど、白くてふわふわしたものの中に孕んでいるイメージです。「あんしん」「わらって!」「かんぱい!」「おいしいよ」などポジティブな言葉ばかり。日常の中で、言葉がぱっと飛び込んできてはっとさせられる瞬間があるんです。それが「止まれ」とか「合流注意」みたいにネガティブな言葉だとドキッとするんですよね。自分の精神に言われているみたいで。でも逆にかわいい言葉もたくさんあって、いっぱい目につく。私たちはそれらに囲まれて生きているんだということをイメージしました。「空から降ってくる」はラストへの伏線にもなるものです。
―どんな読者に届けたいですか。
西 装幀のかわいい本だし、女性器の話ではあるけど、男の人にもぜひ読んでほしいです。男性女性にかかわらず、花しすみたいな性格の人はいると思う。嫌われないようにすることに一生懸命で、でもそれは優しさじゃないとわかっていて、つらい。そういう人に読んでもらえたらうれしいです。
小説、絵、エッセイ
―映画「きいろいゾウ」の公開が間もなくです。西さんの作品が映画化されるのは初めてですね。
西 映画自体が好きなので、すごくうれしいです。ただ、どの作品も映像化を目指して書いているわけではないので、映画がゴールみたいに言われると違うよ、とは思います。でも、映画をきっかけにまたたくさんの方に読んでもらえたら本当に幸せですよね。
ツマ役の宮アあおいさんは、単行本が発売されたときから、「きいろいゾウ」を愛してくださっていました。ツマは誰かを想像して書いたわけではないけど、映画を見ると、これぞツマやなあとびっくりしました。
―『きいろいゾウ』が出版されたのは2006年。当時の思い出などをお聞かせください。
西 三冊目に出した本です。初めて装画を描かせていただいたこともあって、思い入れがありますね。この頃まで、バーでアルバイトをしていたんです。週六回朝まで働いて、帰って少し寝て、それから小説を書いてという生活。体力的にすごくきつかった。しんどくて、顔はむくんで、顔色も悪くて。でも、そんな中で書いていたから自意識の入る余地がなくて、それがよかったなと思います。「しんどい」しかなかったから、衒いもなくまっさらな感じで、書きたいものを書いた気がします。今読み返すと面映ゆいところもありますけど、本当に素直に書いていますよね。『きいろいゾウ』は絵本も出版させてもらって、それもうれしかったです。
―これ以降、装画もたくさん手がけられるようになりましたね。
西 私、「見て見てちゃん」やから(笑)。自分の作品を見てほしいという思いがすごくあって、装画も自分で描かせてほしいと、とりあえず言ってみるんです。自分の小説が英訳されるのが夢ですね。世界中の人に読んでほしい。でも小説は赤ちゃんだったり言語が違うと読めなかったりする。絵は見ればわかるから描きたいんですよね。
―小説と絵で、表現するものは同じですか。
西 すごく近い場所にはあるけど、脳みその部屋としては別かな。でも、どっちも好きです。
―エッセイを書かれるときの「脳みその部屋」はまた違うんですか。
西
確かに小説とは少し違いますね。小説より自意識が出てきてしまうかな。かっこいいことを書くよりは、笑ってもらえることとか、「こいつあかんな」と思ってもらえるほうを書きたい。だから、嘘はないけど、必要以上にダメなふうに書いたり。ちょっとでもかっこいいことを書くのは恥ずかしいというのはすごくあります。どこかで自分に「嘘つけ」って思ってしまうのかも。
(2012.12.14)
(日販発行:月刊「新刊展望」2013年2月号より)
[インタビュー] 西加奈子さん │ [特別寄稿] 神に選ばれし関西人 │ エディターズガイド『ふくわらい』
インタビューはまだまだ続きます。続きは「新刊展望」2013年2月号でお楽しみください。
- 新刊展望 2月号
- 【主な内容】
[まえがき あとがき] 中村彰彦 真田幸村のことなど
[特集] ニシカナコ的世界 西加奈子/海猫沢めろん