[BOOKデータベースより]
第1章 陸の中の島を出でたつために(曙寮焼失一周年に当たりて;伊東(正保)先生を送るに際して;小品二つ ほか)
第2章 盲果てし眼ひらきて(芙蓉;アララギ;静岡県アララギ月刊 ほか)
第3章 桧山の霧(桧山の霧;歌人田村史朗同志を悼む;田村史朗君を悼む ほか)
田村の全短歌、エッセイと追悼文を収める
いつしかに眼は見えなくてうつそみの思いたえだえに行く冬の山
田村史朗(1918〜1958)福岡県大川市に生まれる。旧制佐賀高校から京大経済学部を繰り上げ卒業・入営。戦後、駿河療養所に入所。失明しながら自治会長・評議会議長を歴任。「アララギ」によって作歌。
短歌は既に没後の1961年に『田村史朗遺歌集』が出版されているが本書は発表された短歌の全てを収める。
田村の時代は、戦後の療養所改革の時代であり時代に逆行した「らい予防法」反対、留置場建設反対等の闘争、冤罪の藤本事件救援などハンセン病に関する闘争にとどまらず東富士の米軍演習場反対、安保反対闘争、天皇制反対を歌った。明石海人が内面に沈潜し「癩は天啓であった」と歌うのを批判し戦後派らしい鋭い社会詠に特徴があり他の療養所歌人と一線を画するが、清冽な叙情の歌も多い。
本書は生前の田村を思慕する後進の協力によって刊行される。
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